最近しきりに子どもの虐待がニュースで取り上げられます。痛ましくて、見る気にもなりません。
しかし、報道としての頻度が高すぎる。これはおそらく世論形成のための、意図的なニュースなのでしょう。
何故そう考えるか?
子どもの虐待はたしかに存在する。心に闇を抱えた親が歪んだ形で子供に接するという定義なら、それこそ世に数知れず存在するでしょう。身勝手でわがままなひとが増えているのも事実でしょう。
でも、子供に手を上げ続けたり、ネグレクトし続ける絶対数というのは、そこまで顕著に有るものか、増えているものか、疑問に思わざるを得ない。
私も身勝手でわがままな人間ですが、子どもはかわいい。どちらかの命がないと言われれば、ためらいなく自分の命を差し出すでしょう。
父も母もすでにこの世の人ではありませんが、親の死に目でも、誰の葬式でも、泣いた事などありませんでした。
ところが、先日同い年の元同僚の葬儀でのこと、ずっと泣き続ける息子さんの姿を見て、大号泣させられたんです。
私のそういう姿を見たことのない周囲は、さぞ驚いたと思います。
まあ理由はあり、自分も最近身体を壊し、泣いていた息子さんと同じ年頃の長男・次男に、あやうく同じ思いをさせるところだったからです。
そんな体験に、上記のような思いを強くさせられました。
著者について