高校野球で沖縄県勢が戦ってきた歴史のテレビドキュメントが目に留まりました。
うちなんちゅがやまとんちゅに負けないという気概の象徴として、本州にいる沖縄出身者や、西宮市の高校生と協力して、甲子園の勝ち星を目指してきたと言うお話。
お話の本筋も心惹かれる内容だったけれど、印象に残ったのは応援歌のこと。
喜納昌吉のハイサイおじさんのお話です。
高校生の野球の応援曲に、酒浸りの歌を使うのはけしからんという、どこからかのご指摘で、1大会だけ演奏しなかったのだとか。
番組中、この曲に関する喜納昌吉のコメントが紹介されました。
「この歌は近所のおじさんを題材にしていて、戦争で家族を奪われ、戦地で厳しい体験などもした過去を一切語らずに、近所の鼻つまみ者にされながら、静かに笑みを浮かべて呑んだくれていた人のこと」だったのだそうです。
たぶん昔の日本には、そんな人が山のように居た。
辛い思いをして、新しい一歩が踏み出せない人が。
そういう人へのあたたかい視線は過去のもの。
いまは、「こうあらねばならない」という○○警察の人が増えました。
まあ確かにのんだくれの歌ではあるのでしょう。
でも自分は、よく知りもしない他人が一生懸命にやっていることに、深く考えずに口を出すような人間にはならないようにしようと、改めて心に誓ったテレビドキュメントでした。