今回の五輪関係の日程がすべて終わった中で、印象に残ったことが一つあります。
以前から盛り上げ方、盛り上がり方に疑問があって、
「パラリンピックが添え物みたいになるのはなぜ?」
その理由が今回おぼろげながらわかったような気になったんです。
パラリンピックの競技は、多くがルールがよくわからない部分があるのですが、問題はそこではないかと。
都度協議の冒頭で説明はされるけれど、今時テレビを「何時からこれやるから観よう」という人はいません。
途中で観始めて、わからなくて挫折する。
オリンピック競技者が追及していくのと同様、パラの選手も壮絶な努力の末に参加してきます。
そのドラマは、感動のストーリーとしてスピンアウト的にテレビで流され、これももちろん見る価値は高いけれど、アスリートはやはり、協議の勝ち負けや優劣で評価されてなんぼでは?
競技者ご本人たちも、そういう思いでは?
このひずみ、何とかする方法はないでしょうか?例えばパラ用の競技を一般的な競技として広めるとか。
無理があるのかしら?障がいのある人の方が強そうな気がするのですが。
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